朝鮮近現代史を勉強してみた
GWに朝鮮近現代史を改めて勉強してみた、朧だった李氏朝鮮の知識がはっきりして来たんで、改めて確認出来たことを書いてみた。
まずは、李氏朝鮮王朝が518年間(1392年〜1910年)も続いていたことにビックリ。
日本の江戸時代のように安定社会で文化を高めて行った訳ではなく、極端な階級社会で愚民化政策を押し進めたことを再確認した。
王族と両班と呼ばれる貴族階級の約1割が支配し他の国民には教育の機会は無く、元の時代にあった筈の貨幣経済や車輪を含む技術が衰退する。
星座や太陽の運行から季節を知り、カレンダーを作って狩猟や農耕サイクルの予言擬きを行い、下々に畏怖させて支配した古代文明のようだ。
だから500年超も王朝の存続が可能だった。
初代国王の李成桂は高麗の武将で女真族(後の満州人)と言われている。
宗主国の元(モンゴル王朝)が斜陽となり明が勃興すると高麗王を殺して乗っ取り、宗主国の元を見限り明に下る。国名の朝鮮は明から下賜された。
特産品は無く明への貢ぎ物は毎回美しい女と宦官を献上、宮廷の女は全て皇帝のものなので手を出さない様に去勢して献上したらしい。
26代国王の高宗の時代に、日本は露の南下を恐れて朝鮮の独立と近代化に動くが、高宗の実父の大院君と高宗の妃の閔妃に振り回され、結果的には政権抗争に巻き込まれる。
大院君は固有名詞でなく国王が直系継承でない場合の国王の実父に対する尊号だった。
閔妃も固有名詞でなく閔家からの妃という意味だった。
これらの三人各々が自分の立場確保の為に日・露・清に擦り寄ったり、鞍替えしたりを猫の目の様にコロコロ変えて大混乱だった。
三人三様だが共通点は事大で両天秤、現代韓国の米支コウモリ外交とそっくりだった。
「やっぱり」と納得。